大府市は名古屋の南東に隣接して、南に延びる知多半島の入口に位置する。街の東部には田園の丘陵地が広がり、何度となくハンドルを切り返しながら細い道をたどると、今日の訪問先、野畑さんの自宅がある。この付近も大都市の近郊という宿命で宅地化が進んでいるが、それでも回りには緑が多く、のんびりしたムードに包まれている。この自然と人工のミックスしたフィールドこそ、彼女の感性が活躍する場所である。一見ありふれたどこにでもある風景と、作り出された人間臭さを巧みに切り取って、自分の世界を創造している。彼女は写真家なのである。一女の親であり、院生でもある。
仲間から、「究極の道楽者」と言われる訳。
小学6年生の子供があるのに、修士3年目の大学院生。写真のバックに山積みされているのは、1930年代のアメリカの写真家、ウオーカー・エヴァンスの写真集で、論文のテーマにしているようだ。写真を趣味にしていた彼女が、25才に出会ったミノルタの一眼レフカメラから、写真の魅力にはまり込む。プロ写真家、詫間氏に師事して勉強を重ね、91年から名古屋で個展を開くようになった。毎年一回、三年続けて、それなりに自信作も増えてきた。東京へも出向いたり、写真雑誌アサヒカメラても紹介されるようになったが、「芸術で生きる道」への悩みが日増しに大きな障壁となってきたようである。そんな彼女が悩んだ揚げ句の結論が、大学へ戻って勉強の仕直し。それから3年の今日、私が訪問している。私も、彼女の世代には、コマーシャル写真家として飯を食っていた。バブル崩壊後、芸術の資産価値が崩壊したが、人の資質である無形文化価値まで暴落している今、芸術家の将来には不安が残る。
思想は異にしても、同じような道に足を染めた私と、染めている彼女の対話はどんどん脱線していく。キャノンとニコン、銀鉛とデジタルの話まで。取材予定の一時間をはるかにオーバーして二時間が経った。結局、彼女の求めている世界は理解できないままの消化不良である。やっぱり彼女は「究極の道楽者」か「極道」か。しかし、彼女の最後の言葉が気に入った。
「撮るのが好きなんです」。
撮る行為は衝動的なもの。好きだから撮るという行為に計算づくとか理屈は存在しない。芸心とは本能に似た感性があり、天性である。後世に何を残そうとしているのだろう。どんな写真の世界を見せてくれるか、将来が楽しみである。
Oct.1996 Heart Field Gallery
Mar. 1998 Westbeth Gallery
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