その他の山々
秩父・奥秩父の山

おそらく20才頃に書いた詩である。12才の時に、
初めてキャンプを経験した時のことを記している。

初夏のうだるような昼下がりだった。
初めてかつぐキスリングの
肩の痛みが楽しかった。
初めて履く山靴の
ちっぽけな靴擦れに満足だった。
峠まで続く燃える若草は
青い憧れの通り道だった。
緑を区切る山波は
これからの出来事を語っていた。
滑らかに窪んだ峠の
さっぱりした草原に
少年だった僕の倍もあるような
大きなトーテンポールが待っていた。

中津川・根ノ上高原YMCAキャンプ


1963年10月
妙義山へ職場の同僚、菅沼君と出かけた。霧雨の妙義も情緒があったと思う。左の写真は妙義神社前、右の写真は第一石門から見た筆頭岩。この時は金鶏山筆頭岩に登るべく計画したようである。積み重ねられたような岩を急登した記憶がある。

1963年9月
金峰山
特にこの頃の記憶が薄い。僚友の高柳君、八木先輩と夜行日帰りで行っている。アルバムの写真下に「山には余裕を持たせること」と記されている。ガスの中で雨に濡れた岩場を登る姿が写っていた。


1963年11月
武甲山・二子山西岳
学友のN、T両君と武甲山越えで秩父に入り、安そうな宿を見つけて値段交渉し、泊まることとした。当時はどこも部屋食で、仲居さんがお世話してくれる。金無しの私たちでも、袖への心付けマナーは知っていた。そしたら彼女が言った。「ありがとうございます。今晩はどうしますか? 二人しかいませんが・・・」。T君がたずねる。「いくら?」こんなことだけ強く印象に残っている。翌早朝、起こしても目覚めない二人を残して、二子山に登る。美しい特長のある山なのに、あまり登られていないようだ。蛇と出会った。行く手の登山道に居座っていた。根比べする間もなく、雑木林に消えたのでまた登り出す。樹間の東岳も似た山容である。だから二子と呼ばれるのだろうと納得しながらまた登る。思いの外、きつかったことが、印象として残っている。

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