早朝5時半にホテルを出る。5月ともなればすでに明るく、奥蓼科から麦草峠を越え、シラカバやカラマツの美林が続く八千穂高原経由で川上村に入った。麓の畑には農作業をする人たちがちらほら。高原野菜作りが始まっている。振り返ると八ヶ岳が大きな全容を見せている。編笠、権現、キレット、赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳。ここからは一望できる。今日の目的は金峰山。大弛峠から稜線を縦走する計画だったが、峠道は通行止めのため金峰山荘ルートを登ることにする。
廻目平のキャンプ場はテントの花が咲き、駐車場は林道沿いも満杯状態である。何とかそれでも場所を確保して停め、準備を済ませて登り始めたのが8時前。通行禁止ゲートをくぐり、金峰渓谷沿いのゆるやかな林道をたどる。このあたりは垂直の岩壁が多く、すでにフリークライミングに挑んでいる人たちの声が谷間にこだまする。その声をかき消すように、谷川の雪解け水がうるさい。林道はその左岸に延々と続く。ここはまだ春には早く花も少ない。スミレがちらほら存在を示しているが、今日は山登りに徹しよう。先週の雨乞岳で騙された妻の足取りが悪い。すでに警戒しているようだ。「何時間歩くの?」
崩落地点を沢床へ巻いて登り返すと、しばらくで支沢の合流点に登山口の標識がある。山頂まで2時間半と書かれている。丸太を伝って支沢を渡り、登山道に入る。相変わらず左岸沿いに道は作られているが、だんだん勾配がきつくなってくる。1時間毎に10分の休憩インターバルで、ゆっくり登る。未練たらしいが、やっぱり花はない。やがて道を雪が覆うようになり、歩きづらい腐った雪に悩まされる。ザックを自宅に忘れてきたKさんの帰路が心配になる。ストックはあってもアイゼンもスパッツもない。ときどき予期せず膝までズボッと埋まる。雪はあっても身体はほてり、汗ばんでくる。
沢の音が消えて登りが更にきつくなると、回りにシャクナゲの葉がうるさいほど密集したジャングル地帯にはいる。この一帯の6月はシャクナゲロードが見事だろう。後を見ると奥秩父の山並みの彼方に八ヶ岳が見える。春霞がかかっている。山頂から富士山とご対面できるか不安になる。知らないうちに稜線をたどっているようだ。とは言っても支稜であり、木立は高く展望はない。
稜線を巻くように進むと、梢の間からやっと山頂が望まれた。最後の小休止をとり、再び林間を登る。展望に恵まれない山道だが、山梨側から登るよりは時間的に早い。頂上直下まで森林帯が続いているようだ。「まだどのくらい歩くの?」と妻の問いかける声の向こうに山小屋が見えた。人の声もする。
「もう山頂に立つ気力がない」という二人を残し、身軽になって山頂へ登った。40年前に立ったときは雨だった。今回は春霞で、待望の富士山を見ることはできなかったが、さすがに素晴らしい展望である。さすがに奥秩父の盟主の上にデンと坐る心地よさは格別である。五丈岩の彼方に墨絵のように薄墨の南アルプスが横たわっている。小屋まで下りて昼食をとる。風もない肩の日溜まりでドリップコーヒーを嗜んだ後、ピストンで引き返すことにした。私のアイゼンをKさんに渡し、訳あってひと足先に駆け下りた。
【もうひとつの忘れ物記】
金峰小屋でベストがないことに気がついた。最後に小休止をとったときに、水を取り出すためベストを根っ子の上に置いたことを思い出した。山頂を往復している間に、Kさんが登山者に聞いて回ってくれ、登ってきた親子連れが、その場にあったことを確認してくれた。私が現場に戻ると、あるべきものがない。おそらく先に下った人が持ち帰ったのだろう。それからが大変。走った走った。雪に足を取られて滑ったり転んだり。とにかく慌てた。追い越す人、すべての人に尋ねるが、誰も持っていない。とうとう麓まで駆け下りて、金峰山荘に届け出たが、所在は分からない。ゲートまで戻って、降りてくる人にまた尋ねる。結局5時までゲートに張り付いたが空振りだった。5時半に予約したタクシーに乗って、蓼科に戻ることにした。
そうなんです。たかがベストですが、そのポケットには車のキーが入っているのです。
続きは次回のオフでお話しします。
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