観音様に手を合わせ、鐘楼の鐘をついて、裏手へ回る。縁結び神社があるが、ここで手を合わせたら、それこそ女難の相、二号さんでも出来かねない。カミさんに冗談を言いながら、右手の雑木林に延びている山道にはいる。
東海自然歩道の道標に従いながら、整備された木道をたどる。登り一辺倒の道が緩やかになると駒ヶ岳神社の小さな鳥居をくぐる。アカマツが多い背丈ほどの樹林が尾根筋を覆っているが、振り返れば濃尾平野が一望できる。あいにくの天気で、遠くはぼおっと霞んでいる。さらにひとこぎで、あっけなく山頂に着いた。
三角点の西側には屋根付きの展望台がある。ここからの眺めは一級品。悠久と流れる木曽川が白く光りながら濃尾平野を二分している。左は愛知県犬山市。右は岐阜県各務原市。昔は尾張と美濃を分けていた。国宝犬山城が河岸の山上で北方を睨んでいる。右彼方に美濃の金華山がうっすらと望まれる。妻と二人だけの展望を楽しみながら、握り飯をほおばる。先ほど、唯一すれ違った男性の言葉が思い出される。「羨ましいですね。おふたりで。私の家内は山嫌いでして」。
ぽつん、ぽつんと雨が屋根に落ちる音に急かされて、山頂を後にした。急な木道を下り、露岩を埋める枯葉を踏みしめながら、明るい、気持ちいい灌木帯の稜線をたどる。所々にベンチが配され、整備も行き届いている。稜線の山並みの彼方に鳩吹山が見える。
小さなアップダウンを三回ほど繰り返すと、鳩吹山の分岐点に出る。ここを右に折れ、更に進むともう一つの分岐点に出る。稜線から別れて右に下りれば善師野の集落方面である。回りの木々が高くなるに連れ、道を覆う落ち葉もうず高く、靴底も満足、満足。
路端に野いちごが赤い実をつけ初めている。今日、二組目にすれ違うグループに挨拶して程なく、大洞池の畔に出た。静かな湖面に雨がパターンを描いている。静寂のざわめき、とでも表現できるたたずまい。変な言い回しではあるが、ひとり納得してシャッターを切る。この池を左に回り込むと、道は舗装路となり、やがて正月をのんびり過ごす谷間の寺洞集落が見えてくる。陽徳院、熊野神社を左に見ながら下る。杉の木が明茶色の実を鈴なりにつけている。一ヶ月も経てば花粉を飛散させ、北風に乗って麓を襲うことだろう。
白壁土蔵の農家の庭先にサザンカが咲いている。ナンテンの赤い実もたわわで鮮やか。里の正月は平和である。喧噪の街に住み、時の流れに溺れそうな私たちには、うらやましい限りである。
リタイヤしたら、こんなところでのんびりしたい憧れもあるが、住めばまた、場末の赤提灯が恋しくなるのも現実であろう。
年始めの山登りは、二時間ちょっとの散策程度。無人駅の善師野方面から電車の音が聞こえてきた。あわてて二人で走り出す。踏切が下りていたが、停車している電車の窓越しに見える運転手さんに手を合わせる。頷く姿に踏切をくぐり、間一髪、滑り込みセーフ。
大洞池
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