←上水晶谷 クリック拡大表示
今日はすでに御在所岳一座を制し、これからもう一座を登るために500mの高度差を下って登り返すハードな行程である。国見峠を左に折れて上水晶谷を下る。それほど利用されるルートでもないらしく、踏み跡は確かでない。ましてや春先なので、トップに注意を促す。降り続いた雨で水量も多くなったか、沢筋を流れる水の音が清々しい。ウグイスの声も歯切れよくきれいに聞こえる。なだらかな谷合には小滝が連続して一服の絵となり、足元を埋める落ち葉と雑木林の新緑の対比が趣深い。春先の自然の叙情に触れる幸せ感は、山を歩く人だけに与えられる特権であろう。このあたりの雰囲気はまた格別である。そんな山肌にアカヤシオの薄紅色、ミツバツツジの紅紫色、タムシバの白がアクセントをつけて、通りすがりの人の心を和ませてくれる。花は少ないがスミレは多い。だめちゃんのスミレ学を聞きながら歩く。フモトスミレという5ミリに満たない白い花をご教授願う。内田さんと私は即撮影モード。エンレイソウがあちこちに、大きな三枚葉の上で黒紫の頭を垂れている。道はほぼ沢の右岸に忠実に作られているが、落ち葉が覆い、所々で迷いそうになる。沢を下って一時間少々で根ノ平峠からの道が交差する。
→雨乞岳山頂にて
ここで沢を渡渉してコクイ谷へ向かう。沢筋は平坦で広く、目的のヤマシャクヤクは青葉だけがうらめしく、沢山認められる。蕾がひとつある。二週間もすれば、このあたりはヤマシャクヤクの花の楽園と化すだろう。コクイ沢出合の対岸には、コクイ谷経由の関西隊が待っていた。私たち一行も渡渉して合流する。先月、藤原オフの水さん、もぐさんに加え、1月北横岳で世話になった佐竹さんもいる。メールではお馴染みだが、初顔合わせの貴公子さん、ヒロさんともご対面。関西隊五名は、私たちを一時間も待っていてくれた。知多の銘酒をラッパ飲みで廻した後、いよいよ雨乞岳への登りとなる。
ふたたびコクイ谷左岸へ渡渉して、なだらかな二次林の雑木林の中を歩く。炭焼きの窯跡が点在している。鈴鹿の再深部に、昔の人の作業場があった。感慨深いものがある。水が豊富だから、テント場としては最高のロケーションである。ここからは徐々に傾斜が増し、幾度と渡渉を繰り返して、かつては鉱山があった飯場跡近くの水場で昼食タイムとなった。
今日の行程はまだまだ長いので、早めに食事を終え、歩き始める。傾斜はきつく、食後の身体に堪える。雨乞の山並が眼上に大きく広がっている。ガレた沢をジグザグに登る。気温も上がり、ステップを重ねる度に汗がにじむ。息が切れる。酒の飲み過ぎか。
←杉峠付近から東雨乞岳。クリック拡大表示
杉峠から東を見渡せば、今日たどってきた御在所岳の稜線がはるか彼方に横たわっている。ここで小休止の後、最後の登りにかかる。この山域はまだ訪れる人も少ないのか、ヤブ漕ぎがやっかいである。笹に占領された稜線と苦闘し、偽ピークに騙され、やっとの思いで雨乞岳の山頂に立ったときは、既に午後2時を回っていた。
記念写真を撮ってから、大らかに延びる稜線上の東雨乞岳へ向かう。この山頂は広く、眺めも一級品である。鈴鹿の山々がパノラマとなって広がる。今日は登山日和。もう少しゆっくりしたいところだが、先が思いやられるので、後ろ髪を引かれながらの下山にかかる。七人山へ続く稜線沿いのヤブ漕ぎに始まり、コルからクラ谷へ入ると、渡渉の繰り返し。古傷の左膝が痛み始める。考えてみれば今日の長丁場は、25年前に北穂高岳に立ったとき以来である。渡渉で飯塚さんがスリップ。軽い脳震とう気味、ということでしばし休憩。大したことが無くてひと安心。下りが苦手のカミさんも、膝の痛みに愚痴が出始める。河原さんも自重に耐えきれず、歩が遅くなる。これでは関西隊に迷惑がかかるので、ひとっ走りして追い付き、関西隊は先に下りるよう頼んでみたが、武平峠近くの崩落地点が危険なので、誘導するとのこと。感謝、感謝である。
メンバーの協力で、何とか日没前に下山することができた。久しぶりに、本来の登山をした思いである。しかし、東海隊リーダーとしては、反省材料が多い。途中での決断の甘さ、隊員のレベルを考えたルート選択など、無理は禁物である。最後に、関西隊の足を引っ張ったことをお詫びして、記録のエピローグとする。
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