山名 |
屏風の頭・涸沢・徳沢 |
標高 |
2,565.4m |
所在地 |
長野県 |
登山日 |
2005年10月21日 |
天気 |
晴 |
メンバー |
単独 |
コースタイム |
05:20 |
上高地バスセンター |
06:05 |
明神池 |
06:50 |
徳沢園/07:05 |
07:50 |
奥又白沢朝食/8:10 |
08:35 |
中畠新道分岐 |
10:50 |
屏風のコル |
11:40 |
屏風の耳/12:20 |
12:40 |
屏風のコル |
13:30 |
涸沢ヒュッテ/13:45 |
14:45 |
本谷橋 |
15:40 |
横尾 |
16:40 |
徳沢園 泊 |
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真夜中の一時過ぎに目を覚ました。徳沢園の個室をひとりで独占し、食後の夜8時から5時間曝睡した。前夜は会合後の二次会を辞退して帰宅し、そそくさと山行準備。車を飛ばして沢渡駐車場に着いたのが一時過ぎ。その場でアルピコタクシーに電話を入れたら、4時半頃には配車されるとのこと。短時間を熟睡するためにカップ酒を一気に飲んで目を閉じた。アラームで目を覚ますまでもなく、4時過ぎには車外を見張っている自分。駐車場に停めてある車に明かりはない。残念ながら割り勘の連れ合いはなさそうだ。そうこうするうちにタクシーが来た。相客が来るまで待とうとも思ったが、空は満天の星。運転手の「メーターは丁度で止めるから」の誘惑に乗り、一路上高地へ。釜トンネルは新装され、5時ジャストにゲートが開かれ、15分でバスセンターに到着。ヘッドライトを装着してこの日の行動に突入したが、11時間を超える久しぶりにハードな行軍に疲労しきり、夕食時の熱燗に睡魔がドドッ。個室のコタツに潜り込んだら、そのまま眠り込んでしまった。
本来なら、ゆっくり上高地入りして初日を徳沢園で泊まる予定にしたかったが、又しても週末の天気が怪しいので、槍穂高縦走をあきらめて、初日の金曜に核心部を周回することにした。
河童橋から眺める穂高連峰は真っ黒なシルエット。小梨平から梓川の左岸を歩くようになると、明神岳が徐々に明るみを増す。6時ジャストに山頂が赤く燃えだした。神々しいモルゲンロートを写真に収め、7時前に徳沢園に着いた。フロントにいた女将(美人オーナー)に余分な荷物を預け、今日の山行計画書を渡した。徳沢→横尾→涸沢→屏風の頭→奥又白沢→徳沢のパノラマ周遊ルートだが、彼女は見るなり、危険だという。奥又白沢は、暗くなると迷いやすいとのこと。あっさり彼女の進言に従い、以前ダメちゃんが計画していた下山専用路、パノラマルートを逆走することにした。
新村橋ルートを採らず、徳沢の先を左に採り、車用に作られた橋を梓川右岸に渡って林道途中を右に折れ、奥又白沢に向かう。沢にぶつかる手前を、林道は左に曲がり、右岸沿いに真っ直ぐ登っている。右上写真のように、前穂高岳北尾根が正面に現れる。ここはご存知の通り、氷壁の舞台になった前穂高針峰群の登山口である。明るいガレ沢の堰堤をいくつか越えると、林道は登山道に変わり、灌木帯の中を巻いて行く。晴天続きの放射冷却で冷え込み、日影は霜で凍てつき、足元の霜柱が崩れる。日当たりを見つけて、朝の腹ごしらえをする。静寂を破る鳥の鳴き声が、尚更静けさを醸し出している。
奥又白のガレ沢直登はキツイ。ほどなく大岩に、涸沢右折の指示が書かれている(左写真)。真っ直ぐ登れば奥又白池方面の岩登りベースキャンプ。ここを右の支沢に入ると、涸沢へのパノラマコースになる。小さな支沢を二つトラバース気味に、前穂北尾根を遠巻きするように北上する。沢にはペンキマークがルートを示しているが、暗くなってからのヘッドライトでは間隔が開きすぎていて見つけることは困難だろう。今更ながら女将の助言に感謝である。秋の陽は正しくツルベ落とし。この斜面は東に面しているので、午後になると暗くなることでも肯ける。
すでに赤い実をつけているナナカマドやシラカバ、ダケカンバ、カラマツなどの樹林帯は明るい雰囲気で迎えてくれるが、運動不足、寝不足の足にはキツイ。不規則な岩礫渡りの足どりがバランスを崩すと、疲労度は倍加する。先週燃えていたナナカマドは、すでにほとんどが葉を落とし、紅葉は赤実に化けている。これでは涸沢の紅葉も終わっていることだろう。途端に足どりが重くなる。ふたたび暗い針葉樹林に入る。慶応尾根をまたぐようにルートは作られている。
この下りで、初めて前方に屏風のコルが姿を現す。右上写真右端の最低鞍部がそれである。うんざりするような壁がはだかっている。ガレた沢筋まで一端高度を下げ、ジグザグ登行が始まる。やっぱりこのルートは、下り専用であることに肯く。岩屑に足を滑らし、踏ん張った途端に左ふくらはぎが攣った。次いで右足の指が攣る。騙しだまし、ゆっくり登る。遅々として高度は、はかどらないが、屏風の南東にせり出した早稲田尾根は確実に少しずつ低くなっていく。屈伸運動とストレッチを繰り返し、また襲われそうな痙攣のスト回避に休息を入れながら、やっとの思いでコル手前の屏風の頭分岐に着いた。やれやれである。ここで一服。10秒チャージのウイダーを一気に飲みストレッチ。「あと30分、我慢せい」と脚に言い聞かせ、再び奮起。5分も登ると視界が開け、穂高から槍のパノラマが見渡せる。写真を撮っていたら女性が一人で登ってきた。挨拶の言葉も軽く、ハイマツの間を岩伝いにピョンピョン飛び跳ねながら登っていく。若いとは言え、うらやましい。我が身にカツを入れ、ハイマツを漕ぐ。この時期のハイマツは冬に備えるためか、松ヤニが多く、かき分けた手にべっとりヤニが付いてしまった。ハイマツの影でゴゼンタチバナが赤い実を着けている。
左写真が屏風の耳。左側の耳に三角点があり、右側が最高点だろう。後で調べてみます。この撮影地点から一端下り、涸沢側が削ぎ落ちているので慎重に歩き、登り返せば360度のパノラマが開ける。屏風の頭はこのまた先になるが、屏風岩をよじ登る人たちのハイマツヤブコギルートがあるだけで、松ヤニ漬けになるのも遠慮したく、時間がないのでここで昼食タイムとした。先ほどの女性と、ふたりだけの山頂である。彼女は初めてらしく、ルートもないので、耳を頭と間違えていた。「頭は前方のトンガリだよ」と言ったら、行きたそうな顔。彼女も日帰りで徳沢から登ってきたという。徳沢園の隣にある、徳沢ロッジで働いているとのこと。「縁があったらまた会いましょう」の言葉を掛けて、一足先に頂を後にした。
ハイマツ帯に点在する岩伝いの八艘跳びで、再び痙攣。今度は両太股。ヤバイ、直立姿勢で踵のアキレス腱を調整しながら太股をゆっくりやさしくさする。さてさて、これからが思いやられる。またしても騙しだましの行軍。無理な態勢を取ると攣る。何とか屏風のコルまで引き返し、前穂北尾根沿いに緩やかなアップダウンの後、トラバースルートで涸沢ヒュッテを目指した。急峻な斜面の危険個所にはロープがフィックスされているので、以前よりは整備が行き届いている。このトラバース中に二度痙攣。経験だけでは山に登れない。運動不足を反省するのみ。無駄な時間を費やしたので、紅葉の終わった涸沢に未練はなく、ただひたすらに下った。昨年架かっていた新しい本谷橋が、流されたのか見当たらなく、古い橋だけの一本。これではオンシーズンは大渋滞することだろう。非常に長く感じられた本谷橋から徳沢まで。惰性で脚を引きずったせいか、右膝の古傷が再発したようである。明日の天気は下り坂。予定では、岳沢ヒュッテ泊まりで、日曜に奥穂、ジャン経由で天狗沢周回も考えていたが、この体力では身の程知らず。今夜は徳沢園の風呂で疲れを癒し、明日は梓川沿いをそぞろ歩いて名古屋へ戻ることにしよう。
氷壁の宿・徳沢園について
せっかちな私には、通りすがりの建物にすぎなかった。しかし、この徳沢は、梓川沿いでは最も落ち着いた自然美が溢れている。スローライフの歳になって初めて思いついた。ここをベースに山を歩いてみよう。金曜の個室が予約できたが、結局単独行になり、そのよし電話で確認したら、千円ほど高くなりますとの返事。贅沢な一晩を過ごすことができた。山小屋のイメージではない。氷壁の舞台になった山小屋は、今でも冬期小屋として利用されているが、それは裏側にある。新館は10年ほど前に建てられた瀟洒なホテルである。オーナーの管理運営は高級ホテル並みで、従業員のしつけも徹底されている。山旅の疲れを癒す風呂も素晴らしい。噂のディナーは格別である。岩魚の塩焼きには年期が入っている。焼き加減、塩加減が絶妙で、食するときの暖かみに、提供時間の手際よさがうかがえる。茶碗蒸しのシャキシャキ松茸にも驚いたが、どの器も上品な味加減で、私の小さな胃袋が困るほどの品揃え。メインディッシュのステーキには興味津々だったが、脂身の少ない柔らかなフィレ肉を使っている。おそらく国産牛だろう。そんなこだわりを口に出さず、若い女性が笑顔でさりげなく応対している。美味求心。春には旬菜が、香りと彩りで迎えてくれることだろう。上高地の奥座敷。私のスローライフに、またひとつの新しい発見である。
詳しくは電話して下さい。TEL.0263-95-2508
数少ない自然の彩り。
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