2006年3月4〜6日
シュパース恒例志賀高原ツアー
4日 横手山・渋峠
5日 奥志賀・焼額山・高天ヶ原
6日 のんびり湯田中打ち上げ |
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冬から春へ。3月になると冬型の気圧配置が崩れ、移動性高気圧が大陸から日本へ流れてくる。この週末は珍しく大きな高気圧が日本を覆った。例年であれば西発哺温泉ホテルに集結するのだが、あまりの好天が約束されているので、初日を横手山へ向かうことにした。メイン部隊はサンバレーのレストラングリーンで待ち合わせ、熊ノ湯に車を停めてリフトで横手山頂に向かった。
山頂到着は12時前。軽く渋峠のゲレンデを滑りたいという仲間と別れて雪原を歩き、横手山神社へ。2mを越える雪に鳥居はいつも通り、頭だけをもたげている。例年になく暖かく穏やかである。お目当てのモンスターは残念ながら数日前の雨が、その造形を崩したようだ。同行のI嬢とそぞろ歩いてから、集合場所の山頂ヒュッテに入った。日本一標高の高い製パンが評判のヒュッテはいつも通りの混雑だが、先行メンバーが席を確保していた。人気のボルシチセットで空腹を癒してから渋峠スキー場でパウダースノーを堪能する。昨夜の新雪が雪煙を巻き上げる。スローな回転で身体の反応をじっくり確かめつつ板を操作する。最上級の雪質に、身体の反応も小気味よく切れる。初日はほどほどの滑りに止め、再び横手山頂に戻って熊ノ湯へ下ることにした。白銀と青空の境にシュプールと雪煙を残して下った。
好天は二日目も続き、奥志賀からサンバレー縦断の一日が始まった。ホテルから板を着けて西館山ゲレンデへ滑り込み、フード付きクワッドで高天ヶ原へ渡る。ここでシャトルバスに乗り奥志賀へ。今回のシュパースは、友人が参加できないとのことでI嬢が紅一点。スキーレベルが他のベテランより差があるため、無理をさせないよう僕が個人レッスン役を引き受けた。ここは志賀高原の奥座敷。相変わらずの素晴らしい雪質である。クワッド終点からビッグバーンを下るメンバーと別れて林間コースをのんびり下る。シュテムボーゲンに慣れさせてから、開脚のタイミングでテールを押し出すクリスチャイナを修得させる。好コンディションに慣れも早い。上体に固さは残るが、I嬢のフォームに華麗さがうかがえる。二回の滑降を終えて、いつもなら奥志賀高原ホテルで休憩するところだが、ちょっと奮発してグランフェニックスへ。チロリアンガストハウスを思わせる外観だが、内装は重厚な6寸丸太を組み込んだログハウス調の造りである。赤々と燃える暖炉の横のロココ調ソファに身体を埋める。喉の渇きはビールに限るが、昨夜の痛飲がいささか残っている。彼女は熱いココアがお気に入りのようだ。いつもなら奥志賀から尾根伝いに焼額山へ抜けるのだが、今日はシャトルバスで手抜きをして、昼食場所へ移動。プリンスホテル南館集合予定が、携帯情報の交錯で西館水芭蕉へ。
結局昼食は全員集合とはならず、食後に南館ゴンドラ前に集結し、焼額山から神ノ倉ゲレンデ、一ノ瀬ダイヤモンドを経て一ノ瀬へ。本隊は寺子屋から東舘山、ブナ平へ向かうという。僕は軽い別働隊を組んで一ノ瀬ゲレンデをトラバースし、タンネの森から高天ヶ原、西館山経由でホテルに戻った。午後3時。出湯に浸かってビールを飲み、久保田と剣菱を並べて本隊の帰りを待った。
三日目の朝は小雪が舞っていた。昼までの時間は自由行動。ジャイアントへ最後の滑りを楽しむ面々を送り出してからコーヒータイムをとる。宿のおやじとスキー談義に花を咲かせる。西発哺温泉ホテルを定宿にして10年以上が経つ。おやじや女将は歳をとったものだ。ということは、自分もそんな歳になっているのだが、万年青年は自覚がない。いつまで経っても若いままである。まだまだ10年は、このホテルにお世話になることだろう。最後のお湯にゆったり浸かり、みんなの集結を待って打ち上げの湯田中へ。いさみ寿司の夫婦は日本海の珍味で歓待してくれた。
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