2006年12月29日11:50
金時山頂にて
金時山登山の後、丹沢ヤビツ峠に寄り、東京三田の娘宅に夕方5時着。六時半に慶応大学前の「かこいや」へ。すでに待ち合わせた友人夫婦の笑顔。久しぶりに痛飲し、あっと言う間の二時間が過ぎた。翌日の中央道経由蓼科行きをひかえ、早めに床についた。 |
東京の娘を訪ねる途中、御殿場で道草。東名高速を下りて足柄峠に向かう。峠の階段を登って展望台に上がってみたが、富士山は快晴にもかかわらず、八合目付近からテッペンまで風雲に包まれている。峠道を右に折れて林道を進み、ゲート手前駐車場に車を停め登山靴に履き替える。
2006年12月29日09:40。
妻と二人、今年の登り納めは金時山である。
ゲート前であいさつを交わした人が「一緒に歩きましょう」と声をかけてくれた。「妻は足弱なので」と断ると、「1時間歩程を2時間かけてゆっくり歩きましょう」。旅は道連れ、ご一緒させてもらう。歳をたずねたら72歳になるという。毎週末、小田原から通っているとのこと。植物に詳しい彼は、登りながら、この地域の固有種を教えてくれる。キントキヒゴタイとタンザワヒゴタイの違いは総苞片の反りかえりで見分けるとのこと。カンアオイの葉が多い。乙女峠で発見されたことから名付けられたオトメアオイも興味深い。これらの植物は、分布域内で独特の変化進化を経て固有種になるため、レッドデータとして保護対象になっているものが多い。
植物の話は絶えることがなく、霜柱を踏みながら、冷たい風を受けながら、最後の急登に架けられた梯子をたどり、山頂に着いた。まだ富士山は雲に遮られている。日射しはきついのに寒風が肌を刺す。ひと通り写真を撮ってから山小屋に入る。ラーメンを注文して、彼の隣に腰を下ろす。登山者名簿に記帳する。天井を見上げると木札がずらりと架けられている。その中に彼の名前を見つけた。千回以上の登頂歴はお見事のヒトコト。朝起きると、金時山に登りたくなり、身体が勝手に山に向かう。そんな人を金時病というそうで、彼もそのひとり。一年間で361日の記録を持つ人もいる。誉れ高き金時症候群の持ち主である。
たっぷり1時間の山小屋休憩。外へ出ると富士山が全容を見せている。北風の強さが、東になびく雪煙に表れている。
下山後、松田側に下りて表丹沢の玄関、ヤビツ峠に向かう。途中の展望台からの眺めは見事で、富士山はもとより、相模湾越しに大島も眺められた。若い頃は毎週のように出かけた丹沢の山並みが間近に広がる。あれから40年以上の年月が過ぎている。この山にふたたび登る日はいつのことか。
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