道草ばかりの人生  長山 伸作
 プロローグ
 生 誕 期
 思 春 期
 東芝に就職
 東芝山岳会
 夢のチロル
 ザルツブルグ−1
 ザルツブルグ−2
 チロル・シュルンス−1
 チロル・シュルンス−2
 男と女 出会いと別れと
 創 業 期
 結婚と家族
 浮き 沈み
 最愛の弟に
 中小企業考
 事業継承考
 スローライフ

写真/冬のホーホヨッホ
休みともなると村の仲間が上がってくる。肩を組んでいるお嬢は村長さんの三女カタリーナ。あとの二人の名前は忘れたが、僕の下宿先のブティック店員と役場で働いていたギムナジウムの学生。


 チロル・シュルンス時代−1 1969

シュルンスは、モンターフォンの谷に点在する村の中心的存在である。アールベルクの南西に位置し、フォアアールベルク州に属す。西はスイス国境に近い。人口は5千人程度と少ないが、夏は避暑を求めて、冬はウインタースポーツを楽しみに、ドイツ、オランダ、フランスなど外国から多くの観光客が訪れる。僕は11月中旬に現地入り。アパートが手配できなかったとのことでペンションの一室が契約できていた。店まで徒歩10分。朝からよくしゃべるオマー(おばあちゃん)の朝食付きなので、不精者には都合がいい。人懐っこい孫のマーチンとは、すぐに仲良しになった。名誉なことに、この村では日本人第一号である。

ウインターシーズンを前に準備することは多い。初めての試みだから、関係ある人への挨拶もしなければ・・。まずはスキー学校の校長を訪ねて生徒たちの写真を撮ることで了解を得た。息子と娘もインストラクターだが、息子の目は好感的ではなかった。逆に娘が握手を求めてきたので救われる気分。彼女が気に入っていた、僕の日本製ダッフルコートは、シュルンスと別れるときにプレゼントしたが。
問題はロープウエイにある。スキー学校の先生のようにタダ乗り、横入りできる権利がほしい。運営会社のホーホヨッホバーンを訪ねた。社長に面会し、略歴とここでの仕事を説明した。ロープウエイは今期新たに掛け替えたばかりなので、彼がチャンスを与えてくれた。「タールハマーでデコレーションを作っていたのなら、看板文字を作ることができますか?」。


案内された作業場には、工具も発泡ボートの材料もある。文字が型抜きできる熱線入りヒーター台もあるので「ヤー、ナチュアリッヒ」と応えた。ロープウエイターミナルの上に掲げてある「HOCHYOCHBAHN」は僕の作である。代償として、顔パスの権利を得た。

シーズンになると、ホテルイベントに「チロルの夕べ」が催される。滑稽な木こりの踊りや、ドリンデルの民族衣装で着飾ったチロル娘たちの華やかな踊りが紹介され、クライマックスには、お客さんと踊るウインナーワルツが用意されている。このイベントは、僕にとってはまたとないドル箱的存在になるだろうから、各ホテルのオーナーを訪ねて、まだ大切にとってあった日本からのお土産、扇子を渡して歩いた。小さな村では、たちまち変な日本人の噂が広まっていった。

いよいよ実戦のリファーサルである。ボスと暗室マンのヘアマンを交えて、業務プロセスを打ち合わせた。僕が撮影したフィルムは、夜中に店のポストへ投函する。出勤したヘアマンは即現像して名刺判に焼き、ボスの奥さんがナンバー付けをして店頭ボードに貼り出す。店頭の写真を見た客の注文は専用袋に番号、枚数を記入、住所を書いてもらい、翌日来店か、郵送かをチェックして暗室に回す。売上金は専用箱に入れて毎週精算することに決まった。
名刺もできあがったので、サービスのリファーサルが始まった。キーマンになる人たちや通行する村の人たちを撮りまくり、写真をプレゼントした。これでシーズンインできる。




シュルンス Schruns in Motafon
ボス、ハインツ撮影の絵ハガキ。撮影場所はホーフベーク。
時々は重いカメラ機材を持って付き合った。



変なカメラマン
今の世の中なら、肖像権で訴えられることは間違いないだろう。夜のディスコへ入り、踊りながらキスしているカップルに「ハロー、シャウエンジー、ヒア」(こんちは、こっち向いて)と言ってカチャッ!ストロボが閃光を放つ。手早く名刺を渡して、お邪魔しましたと言う。名刺には、僕とお店の名前、それに写真を貼り出す翌日の時間が書いてある。怪しげなカップルは当然撮らないが、なかには「何だ、コイツ」という目つきで睨む人もいる。そんな時には「日本からはるばるやって来たカメラマン。貴重な写真ですよ」と言うと、変に安心する。そんな調子で始まった新商売。始めは挨拶代わりにカウンターでワインやシュナップス(アルコール度が高いリキュール)を注文して、一緒に飲んだくれたりしたので足が出たが、小さな村なので、クチコミ宣伝効果は早く興味本位で店頭の写真ボードは人だかりができ始めた。

昼間はスキー場へ向かう。スキーは上越石打の悪雪で鍛えたから、半端な地元の若者よりうまい。決して手前味噌ではない。写真を撮るのが商売なので、ストックは持たない。両手でカメラを支えながら滑る。客になりそうな家族や、スキースクールの集団を見つけると、その下に回り込んで「ハロー」。スキーが嫌いなら、もっと真面目に撮るのだろうが、ついつい滑りに夢中になると、10キロのダウンヒルを一気に滑り降りてしまう。


だから写真の売上貢献度は、スキー写真より、麓のディスコやレストランショーの方がはるかに高い。「チロルの夕べ」はドル箱で、チロル娘と一緒の写真は、観光客にモテモテ。たった一時間のショーで100枚売り上げることもあった。500円×100枚=50,000円で、40%が僕の報酬だから、2万円の荒稼ぎになる。写真一枚は50シリング。1シリング約10円。同世代の月給が3000シリング、3万円程度だから、笑いが止まらない。ボスもニコニコではあるが、奥さんとヘアマンは何故か冷たい目。それもそのはず、僕が余分な仕事を作ってしまった。僕の仕事ではなかったが、大商いの日は、暗室作業を手伝ってご機嫌取りの点を稼いだ。

食事はもっぱら裏の喫茶店を利用していた。ウエイトレスのシルビアは愛想が良かった。昼の休憩は2時間が普通なので、客は食後の時間をトランプに興じる。遊びはもっぱらオーストリア独自のカードで、ヤッセンというゲーム。当然少額の博打になる。ある夜、ヤッセンからポーカーに移行し、ちょっと緊張の雰囲気。村ではツマミ者のカサノバ男が割り込んでいた。下りるのもシャクなので突っ張って掛け金を吊り上げていった。二人だけの熾烈な戦い。どちらも降りられない状況。店内は異常な雰囲気。突然ボスが現れ、間に入った。シルビアが呼んだのだった。「ポリツァイが来ないうちに止めろ」。帰路、ボスに言われた。「派手な行動は慎め」。



カタリーナは16才
暖かな日曜日。天気がいいので雑用を済ませてから、板を担いでスキー場に向かった。ロープウエイに乗っていたら、二人の女の子がチラリちらりと私を見ながら話している。どこかで見た顔。麓の子であることは間違いない。山頂駅で降り、スキー板をつけていたらお声がかかる。「フォトヴォルフで働いている日本人でしょ?」。「ああ、SHINというんだ。君は?」。彼女はカタリーナ。ヨーロッパ人の16才は立派な大人だが、彼女にはあどけなさが笑顔に現れている。「一緒に麓まで競争する?」。いたずらっぽく話し掛けてくる。俺様に挑戦するとは生意気な、とは思ったが、笑顔に負けてあっさり肯いた。二人の滑りに合わせてスタート。何とか追走できたのは中間駅まで。後半のカーブは成り行きまかせで脚が言うことを聞かない。太股がジーンと熱く痺れてくる。登山とスキーで鍛え上げた足腰でも、カペルから麓までの6キロのダウンヒルはキツイ。山麓駅のゴール地点でニコニコ笑っている二人。

カタリーナは村長さんの娘である。三女であり、次女のクリスティから僕のことを知ったという。クリスティは保母さんで、チロルの夕べの民族舞踊の一員でもあり、僕の活動を見ている。
「遊びに来てね」の言葉で、暇になったら日曜の午後にでもお邪魔すると約束した。
(写真は僕が日本に帰ってから送られたもの。すでに20才になっていた)



シーズン中は忙しい。朝6時に起きて、7時にマーチンと朝食。センメルのパンにバター、ハチミツ、ジャム、ハム、チーズをミックスして食べる。パンは焼きたてのパンが用意されるので誠にこおばしくおいしい。おばあちゃんは、身体に良くないと、古いパンを食べる。半熟卵を作るのが上手なおばあちゃんの忠告は、「卵は一日一個だけ食べなさい。それ以上は身体に良くない」。僕は牛乳でお腹をこわすことが多いので手をつけない。コーヒーは薄めなのでお代わりするがストレートで飲む。フレッシュはなく、牛乳で割るコーヒー習慣はオーストリアもドイツも同じである。8時にペンション・アデレーテを出てスキー学校に寄り、先生たちと一言二言挨拶とおしゃべりしてからロープウエイ駅に向かう。山頂駅のレストハウスでオンタイムになる。寒い日は、ここでシュナップスをグイッとひと飲みして外に出る。昼食は麓まで滑り降りて食べる。経済的であるし、ゆっくり食べられる。午後にもう一度スキー場を一回りして店に入り、ボスに報告してから、店が忙しければ客相手、暗室ヘルプののち帰宅する。雪の日は商売にならないので休養日。第2部のオンタイムは夜8時から始まる。街で夕食を済ませてからホテル、ディスコ巡りで写真を撮る。客が少ないと、ご機嫌とりにワインを注文してカウンターで時間待ち。知り人がいると、逆にご馳走になったりして、12時頃には血中アルコールが相当な値になることが自覚できる。頃合いを見計らって仕事終了。帰りがけに店のポストにフィルムを投函して家路につく。お客様は観光客なので、店は休業日でも、僕だけは土日に関係なく自由に仕事をする。休日は荒天日だけ。
3月になると観光客は引き始め、下旬になると開店休業状態になる。仕事の区切りは3月までで、冬の契約が終わり、僕の春期オフタイムの2ヶ月が始まる。



村長さんのマレント家は1男5女
峰は未だに雪化粧していても、麓の春は早く若草色に染まり始める。オフの暖かな一日に、ぶらっと外へ出た。教会の右を上がったホーフベークと呼ばれる丘の中腹にカタリーナのマレント家がある。写真に紹介されるチロルの民家そのままで、まわりはアルプの牧草地が広がる自然いっぱいの心地いい環境だ。牛が草を食べる情景もハイジの世界そのままである。

庭先でお母さんは花の手入れ。「グーテンターク フラオマレント」。見るからに柔和な表情で顔を上げ、初対面の僕が誰であるか、直ぐに悟ったようで、家に向かって大きな声で呼んでいる。間もなくカタリーナが玄関から飛び出してきた。突然の訪問で面食らっているだろうと想像していたが、裏切られた。まだまだ大人の世界を知らない、純な仕草が子供のように可愛い。彼女は僕を同年程度に思っていたようだ。握手する手をそのままに家に招き入れてくれる。伝統的な木造りチロルの家は、玄関から、左に居間、正面にキッチンがある。三階建てのがっちりした造りになっている。概略の説明の後、居間に通してくれた。そこに家族が三々五々集まってくる。小さなフランツは唯一の男子。村長さん夫婦は、男子ができるまで子づくりに励んだ。その結果は、にぎやかな5人の美女を育て上げている。はにかんだ顔つきで挨拶する末娘のアーデルハイトは、中学生ぐらいの年格好。街で面識あるマリアやクリスティも入ってきた。マリアはデートがあるらしく「ヴィーダーゼーエン」と言って直ぐに手を振り外へ出ていった。村長さんは生憎と留守。カタリーナは興味津々で、日本について質問攻勢である。お母さんが、手作りのハーブティーとショコトルテを運んできた。久しぶりのアットホームに心がなごんだ。


シュルンスで自由に出入りできる家庭ができたことは、僕にとって非常に有り難いことである。このマレント家とは、今でもお付き合いしている。

ボスも気を遣ってくれる。子供に恵まれない家庭なので時々ディナーに招待される。僕も自作の腕を振るうことがある。中国料理店で修得した水餃子は、奥さんの受けもいい。小麦粉を練って綿棒で薄皮に仕上げる技は確かであり、上品な口当たりと酢醤油味は評判で、友達まで連れてくる。次にはその友だちのガーデンパーティーに招待される、という具合に知人が増えていった。教会広場横で喫茶店を開いているセン夫婦もボスの友だちで、餃子と寿司に舌鼓。僕の帰国後、ボスたちと日本を訪ねてくれた。この時は奮発して、置屋と舞妓まで接待したが、さすがに目ン玉が飛び出るツケがあとで回ってきた。




長女マリアは美人であり、懇願して撮らせてもらった一枚。
彼女は銀行に勤めている。僕の預金残高はバレバレだろう。

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