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あっという間の一週間が過ぎた。
共産圏は出入国審査に時間がかかるので、余裕を持ってコルサコフ港へ向かった。一週間の間、私たちの足となったバスの運転手に握手を求め、別れを告げた。彼は奥さん手作りのピロシキを振る舞ってくれた。大きな体の割に、はにかんだ笑顔でウンウンとうなずきながら見送っていた。
ガイドのワシリさんは、出国審査のドア前で一人ひとりと固い握手。来年は一ヶ月早めに来て、中北部の山を歩こうと言っていた。来年の再会チャンスを期待したい。
この後、何の問題もなくアインス宗谷に乗り込み、全員無事に本国の土を踏んだ。今回のツアーでは14人が一人としてアクシデントもなく、健康に過ごせ、予定の目的を果たせたことは、準備渉外担当としては運が良かったといえるだろう。協力してくれたメンバーに感謝。
現地一週間の天気がすべて晴というのも珍しく、幸運を神に感謝したい。
【追記】
帰路、国内アクセスに関する情報を追記します。
中部大学隊は名古屋・稚内の早割往復航空券を予約したが、復路はフェリーの到着と飛行機の時間差が1時間しかなく、仕方なくANA4926札幌便で乗り継ぎ、ANA716名古屋便に変更しました。これらの費用を考えると、サハリン航空の運用日に合わせた計画を優先するべきでしょう。
稚内港から飛行機への乗り継ぎに2時間のゆとりは必要ですが、それでも心配な人は、フェリー内で乗員に相談して下さい。優先して入国手続きができるよう手配してくれます。
サハリン中北部の情報
◆オハをベースとする最北端シュミット半島はまさしく自然の宝庫であるが、アクセスが極めて悪い。オハへのアクセスは、大陸側のハバロフスクから空路を利用するのが一般的で、毎日飛んでいる。シュミット半島へはオフロード車が必要で、軍用トラックを改造したキャンピング車がある。テント生活が強いられるが、半径1キロに一匹の割合でヒグマが生息している状況とか。
◆中部山域の固有種を求めるには。蛇紋岩の山域に多い。
ユジノサハリンスクから北へ200キロ。オホーツク海岸のザオジオールナヤ村から登るカシポ山にはコマクサを始めとする高山植物が群楽する。ここまでなら、ユジノサハリンスクから車移動も可能。
鉄道を利用して、夕方発寝台車で翌朝現地着。そこからは四駆専用車を利用すれば、ワシリさんお気に入りの川島山にヒトツバアツモリソウを見つけることができる。更に北をめざせば、ロパーチナ山、グラニーチノヤ山(いずれも標高1500m超)にチョウノスケソウを始めとする高山植物の楽園が広がる。
資料編
期日 H17年8月3日(水)〜10日(水)の8日間
集合 H17年8月3日(水) 17:00 稚内民営国民宿舎・氷雪莊
〒097-0022 稚内市中央1丁目6番13号 TEL.0162-23-7116
ホテル http://www.minkoku.com/hokkaido/hyosetu.html
地図 http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E141.40.50.3N45.25.4.1&ZM=10
解散 H17年8月10日(水) 13:30 稚内フェリー帰着後
宿泊 8月3日一泊 氷雪荘
8月4〜9日六泊 ユーラシアホテル
地図 http://www.hokkaido-nomad.co.jp/sat/rinfo_yuzhno_sw.html
ガイド http://www.souya.pref.hokkaido.jp/su-tssku/saharin/saharoad/saroad2.htm
外務省 http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/yuzhno_sakhalinsk.html
費用 8月4日〜10日の一週間・海外総費用
ホテルシングルルーム利用者 198,000円
ホテルツインルーム利用者 168,000円
※ホテル・全食事・渡航乗船料・バス代・ガイド通訳オール込み
稚内までの往復交通費は含まず。
予定する成果物
1.愛・地球博 市民放送局
「森と自然を守る人たち」 インタープリター・ワシリさんにサハリンの現状を聞く。
北方をルーツとする絶滅危惧種の野草(カラフトアツモリソウ・オキナグサ・ツクモグサ)は時期的に遅かった。
担当/長山 伸作・砂川 綾乃
2.山野草・早分かり写真辞典
サハリン遠征調査報告・サハリン植物図鑑ほか
担当/長山 伸作
3.学術論文報告書
「東濃地方の植生起源を求めて、サハリンを歩く」リンドウ・モウセンゴケ・ヨモギ
担当/南 基泰 助教授
4.中部大学広報出版からのブックレット
担当/南 基泰 助教授
※日本には、サハリンに関する資料が少ないので、貴重な資料と残したい。
5.中日新聞特集記事
担当/南 基泰 助教授
※地球温暖化に関する植物への影響は、長年の統計データが必要であり、今後の研究課題としたい。
お世話になった旅行代理店 (有)旅工房
◆気になっていたこと
今回の遠征目的から外れますが偶然戦後60年の節目に当たったことで、冒頭にも述べた歴史を探ってみました。サハリンでは、自由市場で多くの朝鮮系の元気な人たちが商売している姿を見ました。カジノを経営する人もいました。ワシリさんの話では、朝鮮系の人たちは商売熱心でよく働くし、よく遊ぶ。70万人州民のうち、4万人が朝鮮系人民とのこと。私の頭の中には、戦時の強制徴用などの負い目があり、釈然としない気持が残ってしまいました。あれこれとネットサーフィンで情報を読み取るなかで、ひとつのサイトで締めくくることにしました。当時の人たちの苦労は計り知れないものがありますが、私なりにピリオドを打たせていただきます。
産経新聞特集部次長 喜多由浩氏
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援
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